戦国期から続く三条の定期市 本寺小路と中央市場が紡ぐ賑わいの歴史
上杉謙信の時代に由来すると伝わる三条の定期市。かつて本寺小路周辺で親しまれた「二七の市」から中央市場への移転、三条マルシェとの連携に至るまで、街の暮らしを支えてきた市場文化の歴史をたどります。

上杉謙信の時代から伝わる定期市の起点
三条市で催される定期市(六斎市)は、永禄12年(1569年)に上杉謙信が越後国内の市を整備した際、開催日が定められたと伝えられています。当時の面影を直接辿ることは容易ではありませんが、古くからの歴史を秘めた伝統として語り継がれています。
三条における定期市は、古くは信濃川や五十嵐川といった河川交通、すなわち舟運を利用して商品が運搬されていた歴史を持っています。そのため、市は川の近くに開設されました。身近な生活必需品を売買する場として重宝されただけでなく、地域住民が集い言葉を交わす大切な交流の場としても発展していきました。

本寺小路周辺で親しまれた「二七の市」
時代が昭和へと進むと、市場は新たな装いを見せます。昭和35年(1960年)からは、毎月末尾に2と7がつく日に開かれる「二七の市」が始まりました。この市は、本寺小路周辺や三条市立図書館周辺を中心としたエリアで開催され、地域の人々の暮らしに寄り添う存在として親しまれていました。
しかし、時代の移り変わりとともに市場の形態も再編されることになります。本寺小路周辺などで長く続いてきた「二七の市」は、2001年(平成13年)4月2日に中央市場へ統合されました。これによって開催場所も、JR北三条駅西側に位置する弥彦線高架下エリアへと場所を移すこととなったのです。
現代へと引き継がれる市場文化と賑わい
街の情景が変化していく中でも、伝統ある露店市場の文化は絶えることがありません。現在でも三条市内では、中央市場の「二・七の市」をはじめ、四日町市場の「五・十の市」など、計4か所で定期露店市場が毎月開催され続けています。
さらに近年では、伝統的な定期市と「三条マルシェ」とのコラボレーション開催が行われるなど、新しい試みも進められています。昔ながらの朝市文化を現代のまちなか活性化へとつなげる取り組みにより、地域に新たな賑わいがもたらされています。
戦国時代の伝承に始まり、舟運の時代、昭和の本寺小路周辺の活気、そして現代の中央市場やイベント連携に至るまで、三条の市場文化は人々の交流とともに歩みを重ねています。
本記事は提供されたリサーチ情報に基づいて作成されています。歴史的経緯や伝承については諸説存在する場合があります。

