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街の歴史

三条の小路をたどる歴史と本寺小路の歩み:職人と参詣者の記憶

新潟県三条市の街並みに張り巡らされた小路には、職人や参詣者の暮らしの面影が残されています。起源とされる本寺小路をはじめ、各小路に刻まれた歴史的背景や伝承を紐解きながら、街の記憶を丁寧に読み解きます。

三条の小路をたどる歴史と本寺小路の歩み:職人と参詣者の記憶を象徴する古い小路が描かれた和紙の絵図を丁寧に広げる手元の和モダンな挿絵

三条の街に残る数々の「小路」

三条のまちなかには、多くの小路が網の目のようにめぐらされています。三条市生涯学習課では、市内に残る100本の小路について、その由来や歴史的背景をまとめたガイドブック『越後三条小路百選』を発行しています。

これらの小路は、昔ながらの職人たちの暮らしや神社仏閣への参詣など、人々の生活と深く結びついて発展してきたと捉えられています。

本寺小路の誕生と名称の成り立ち

数ある小路の中でも中心的な存在といえるのが本寺小路です。元禄16年(1703年)、東本願寺掛所(現在の三条別院)が完成した際、村上藩領主の榊原家から門前に道路が寄進されたことが、その起源とされています。

寄進された道路は長さを百十八間(約215m)、幅を四間(約7m)と伝えています。開設当初は「御坊小路」あるいは「掛所小路」と呼ばれていました。

その後、東本願寺が東別院を新潟県内の本寺と呼んだことから、「本寺小路」という名称が定着していったと伝えられています。

三条の小路をたどる歴史と本寺小路の歩み:職人と参詣者の記憶の本文中盤、左下に置かれた木製の念珠と右上に向かって斜めに伸びる絹の房紐を描いた和モダンな挿絵

参詣者や職人の面影を伝える小路

東本願寺掛所の完成時には、境内の境として「念仏小路」も造られました。この小路は、参詣者や往来する人々が念仏を唱えながら通ったことから、その名がついたとされています。

また、本町一丁目にある「古鍛冶町通り」は、江戸時代初期に鍛冶屋が集まって住んでいたことに由来するといわれています。

その後、職人たちが現在の鍛冶町へと移住したことで、元の通りが「古鍛冶町」と呼ばれるようになったとされています。

大火の記憶と歴史の深み

歴史の歩みの中では、大きな試練に見舞われたこともありました。1880年(明治13年)5月に発生した「糸屋万平火事」は、街に甚大な被害をもたらしたと記録されています。

この大火では、本寺小路の貸座敷をはじめ、東本願寺三条別院や三条八幡宮などが被災し、2,700戸以上が焼失したと伝えられています。

火災などの変遷を経ながらも、三条の小路には職人や参詣者の営みが確かに刻まれています。歩みを進めるごとに、積み重ねられた街の記憶を感じ取ることができます。

本記事は、提供されたリサーチ資料を基に作成されたものであり、確認された事実と伝承の記述を区分して執筆しています。

参考資料

本寺小路おみくじ